東京高等裁判所 平成2年(行ケ)266号 判決
神奈川県南足柄市中沼210番地
原告
富士写真フィルム株式会社
同代表者代表取締役
大西實
同訴訟代理人弁護士
中村稔
同
熊倉禎男
同弁理士
小川信夫
同弁護士
折田忠仁
東京都千代田区霞が関3丁目4番3号
被告
特許庁長官
麻生渡
同指定代理人
高松武生
同
田中靖紘
同
長澤正夫
主文
原告の請求を棄却する。
訴訟費用は原告の負担とする。
事実
第1 当事者双方の求めた裁判
1 原告
(1) 特許庁が平成1年審判第14697号事件について平成2年9月13日にした審決を取り消す。
(2) 訴訟費用は被告の負担とする。
2 被告
主文同旨
第2 請求の原因
1 特許庁における手続の経緯
原告は、昭和55年8月12日、名称を「カラー写真感光材料」とする発明(以下「本願発明」という。)について、特許出願(昭和55年特許願第110943号)したところ、平成元年5月8日拒絶査定を受けたので、同年9月8日査定不服の審判を請求し、平成1年審判第14697号事件として審理された結果、平成2年9月13日「本件審判の請求は、成り立たない。」との審決があり、その謄本は同年11月6日原告代理人に送達された。
2 本願発明の要旨
別紙一般式(Ⅰ)又は一般式(Ⅱ)で示されるカプラーを少なくとも1種写真層中に含有することを特徴とするハロゲン化銀カラー写真感光材料。
ただし、式中、Arは少なくとも1個以上のハロゲン原子、アルキル基、アルコキシ基、アルコキシカルボニル基又はシアノ基が置換したフェニル基を表わし、Xはハロゲン原子又はアルコキシ基を表わし、R1は水素原子、ハロゲン原子、アルキル基、アルコキシ基、アシルアミノ基、スルホンアミド基、スルファモイル基、カルバモイル基、ジアシルアミノ基、アルコキシカルボニル基、アルコキシスルホニル基、アリールオキシスルホニル基、アルカンスルホニル基、アリールスルホニル基、アルキルチオ基、アリールチオ基、アルキルオキシカルボニルアミノ基、アルキルウレイド基、アシル基又はトリフロロメチル基を表わし、R2はアルキル基、アルコキシ基又はアリール基を表わし、R3は水素原子、ハロゲン原子、アルキル基、アルコキシ基又はアリール基を表わし、R2とR3のうち少なくとも一つはアルコキシ基を表わし、m1、m2は各々1から4の整数を表わす。また、R4はアルキル基又はアリール基を表わし、R5は水素原子、ハロゲン原子、アルキル基、アルコキシ基又はアリール基を表わし、nは1から6の整数を表わす。
3 審決の理由の要点
(1) 本願発明の要旨は、前項記載のとおりである。
(2) これに対して、昭和53年特許出願公告第34044号公報(以下「引用例」という。)には、支持体上に1-アリール-3-アリールアミノ-5-ピラゾロン化合物を含有するハロゲン化銀乳剤層を有し、該ピラゾロン化合物の4位が炭素原子数12以上の疎水性残基を有する耐拡散化基をもつアリールチオ若しくはヘテロ環チオ基によって置換されており、且つ1位のアリール基と3位のアリールアミノ基の両方ともが疎水性基であることを特徴とするカラー写真感光材料が記載されている。そして、引用例5欄20行ないし6欄23行には、別紙一般式(Ⅲ)で表わされるピラゾロン系化合物が記載されており、そのR'1、R'2基はアリール基であり、R'2としてはオルト位の一つがアルキル基、アリールオキシ基、ハロゲン原子、アルコキシ基によって置換されているフェニル基である。そして、これらの残基のとき、生成色素の吸光特性の改善がはかられること、そのような残基として、具体的に2-メトキシフェニル基、2-クロロフェニル基等が示されている。また、R'3-S-基としてはオルト位にアルコキシ基を有する2-オクタデシルオキシ-5-ニトロフェニルチオ基が、他の有用なR3-S-基と共に挙げられている。
(3) 本願発明と上記引用例記載の発明とを対比すると、両者は、3位にアニリノ基を、また4位にアリールチオ基を有するピラゾロン系カプラーを少なくとも一種写真層中に含有する写真感光材料である点で一致し、前者がピラゾロン系化合物の3位がオルト位をハロゲン原子又はアルコキシ基であるアニリノ基とし、同じく4位が、フェニルチオ基のR2残基をアルキル基、アルコキシ基又はアリール基とし、R3を水素原子、ハロゲン原子、アルキル基、アルコキシ基又はアリール基とし、R2、R3のうち少なくとも一つをアルコキシ基とするのに対し、後者が前記一般式で表わされるピラゾロン系化合物とし、その3位が、オルト位をアリールオキシ基とし、また4位が、2-オクタデシルオキシ-5-ニトロフェニルチオ基とすることができることが示されている点で相違する。
(4) そこで、上記相違点について検討すると、引用例には上述のとおりピラゾロン系化合物が示されているが、該化合物の3位が、オルト位をフェニルオキシ基とすると生成色素の吸光特性が改善されるものであるから、引用例には、フェニルオキシ基をアルキル基、アルコキシ基、ハロゲン原子等とともに少なくとも必須の残基とする化合物群が具体的に示されているものといわざるをえない。そして、前記化合物群との組合わせで、引用例には多数のアリールチオ基の例が挙げられ、その中にアリールチオ基のアリール基にアルコキシ基を有するピラゾロン系化合物も具体的に記載されているところから、前記2-オクタデシルオキシ-5-ニトロフェニル基を前記アリール基にアルコキシ基を有する残基と共に有効な残基とするピラゾロン系化合物も記載されているものと認める。ただ、前記2-オクタデシルオキシ-5-ニトロ基はフェニル基の5位にニトロ基を有し、本願発明で規定する水素原子、ハロゲン原子、アルキル基、アルコキシ基又はアリール基ではないが、これら残基は引用例8欄12行ないし15行にも記載されているようにピラゾロン系カプラーの置換残基としてニトロ基と共に通常用いられる残基であり、しかも引用例記載の写真感光材料の奏する効果が、引用例3、4欄に記載されているように、
a)カブリやステインを生じることなく、高収率で色素画像を形成することができる。
b)ハロゲン化銀量を低減させ、得られた色画像の鮮鋭度を改良することができる。
c)堅牢な色画像をもつカラー写真を得ることができる。等と、本願発明の奏する効果と同じところから、該ニトロ基の代わりにこれら残基を選定する程度のことは当業者が容易に想到しうることと認める。
(5) これについて、原告は、平成1年12月7日付で実験成績報告書を提示し、前記R3のアリール基の残基をニトロ基以外の水素原子、ハロゲン原子、アルキル基等で置換したアリールチオ基を有するピラゾロン系カプラーが前記ニトロ基で置換したピラゾロン系カプラーに比べて特段の効果がある旨主張しているが、この実験成績報告書で例示されているピラゾロン系カプラーは、フェニル基のオルト位に置換されている残基がいずれもオキタデシルオキシ基と異なるものであるから、この報告書記載の例をもって、フェニル基のR3残基を水素原子、ハロゲン原子、アルキル基、アルコキシ基又はアリール基残基とするピラゾロン系カプラーが前記R3をニトロ基残基とするピラゾロン系カプラーに比し特段の効果を奏するということができず、原告の主張は採用できない。
(6) 以上のとおりであるから、本願発明は、引用例に記載された発明に基づいて当業者が容易になしえた発明というほかはなく、特許法29条2項の規定により特許を受けることができない。
4 審決を取り消すべき事由
引用例に審決認定の技術内容が記載されていること、本願発明と引用例記載の発明との一致点及び相違点が審決認定のとおりであること、引用例記載の発明の作用効果の内容が審決認定のとおりであり、その作用効果が質的には本願発明の奏する作用効果と同じであることは、認めるが、審決は、本願発明の構成上の進歩性及び作用効果上の差異を看過して相違点の判断を誤ったものであって、違法であるから、取り消されるべきである。
すなわち、審決は、本願発明のマゼンタカプラーにおける4位のアリールチオ基と比較する対象として、引用例記載の発明から2-オクタデシルオキシ-5-ニトロフェニルチオ基を4位に有する1-アリールアミノ-5-ピラゾロン化合物(以下「審決抽出の引用例化合物」という。)を抽出し、この比較対象物が、ニトロ基の有無において本願発明のマゼンタカプラーとは化学構造を異にするとしつつも、本願発明が採用した水素原子、ハロゲン原子、アルキル基、アキコキシ基又はアリール基は、この種カプラーにおいてニトロ基とともに通常用いられる残基であって、しかも両者の奏する作用効果は異ならないから、本願発明は引用例記載の発明から当業者が容易に導けるものと判断している。
しかしながら、この判断は次のとおり誤っている。
(1) 引用例記載の発明が出願された当時、引用例記載の発明が採用する2-オクタデシルオキシ-5-ニトロフェニルチオ基におけるニトロ基はマゼンタカプラーに有効であると考えられていたところ、原告は、その後多大な労苦を伴う試験及び研究開発によりこれを排斥し、多くの置換基の中から本願発明のハロゲン原子、アルキル基、アルコシキ基、アリール基を特定できるようになったもので、このように特定の構成の化合物に限定した意義は顕著であり、このような構成は当業者であっても容易に想到することはできないというべきである。
(2) 本願発明と引用例記載の発明とは、いずれもマゼンタカプラーの改良を指向したものであるから、作用効果の種類は基本的に共通するとはいうものの、その作用効果には、程度において顕著な相違があるのに、審決はこの相違を看過している。
〈1〉 本願明細書の表Ⅱ(別紙表A参照)によれば、本願発明は、従来技術の比較用資料と対比して、最大発色濃度(マゼンタ色像Dmax)においては平均的に優れている程度であるが、退色テストの結果(初濃度1.0の部分のマゼンタ濃度及び白地部分の色汚れのイエロー濃度)では圧倒的に優れており、顕著な相違があり、この作用効果は、当業者の予想しえない画期的なものである。
〈2〉 原告は、審判手続において本願発明が優れた作用効果をもつことを証明するために、引用例記載の化合物であるカプラーAと本願発明の化合物であるカプラーBないしGとを対比した平成1年12月7日付実験報告書(甲第5号証の2)を提出したが、審決は、その実験報告書で対比されたカプラーにはオルト位にオクタデシルオキシ基が置換されているのに、本願発明のカプラーのオルト位にはオクタデシルオキシ基が置換されていないから、比較することができないとの趣旨を述べて、この実験報告書の記載を排斥した。
しかし、右実験報告書においてオクタデシルオキシ基を共通にしたものを実験の基礎にしなかったのは、たまたま本願明細書にオクタデシルオキシ基のあるカプラーの具体例が記載されておらず、掲載された他のアルコキシ基で実験する方が適当と考えられたからにすぎないし、オクタデシルオキシ基もアルコキシ基であることに変りはないから、審決のこの判断は不当である。
〈3〉 そして、本件訴訟手続において提出した実験報告書(甲第6、第7号証)によれば、本願発明の作用効果を達成するためにはアルコキシ基の炭素数は影響がなく、本願発明に係るカプラーは、審決抽出の引用例化合物に比して顕著な作用効果を呈することが明らかにされている。
すなわち、甲第6号証の表1(別紙表B参照)によれば、審決抽出の引用例化合物において、例えオルト位がオクタデシルオキシ基であっても、メタ位の置換基がニトロ基である2-オクタデシルオキシ-5-ニトロフェニルチオ基(資料No.A、H)は、オルト位がオクタデシルオキシ基であって、メタ位がニトロ基ではなくオクチル基又は水素原子である本願発明(資料No.J、K)に比較して退色率が顕著に高いうえ、未露光部分の黄変においてはもはや比較にならないほど劣る一方、オルト位がオクタデシルオキシ基ではなくてもそれを包含するアルコキシ基(具体的には資料No.B、Iのブトキシ基又は資料No.Dのドデコキシ基)であり、メタ位がニトロ基ではなくオクチル基(資料No.B、I)又は水素原子(資料No.D)であるものは、退色率と未露光部分の黄変に関して本願発明の優れた作用効果を呈することが明らかである。
また、審決抽出の引用例化合物であるニトロ基を有するマゼンタカプラーは、同一の濃度を得るのに本願発明と比較して多量の露光量を必要とすること、言い換えれば、本願発明は同じ露光量で審決抽出の引用例化合物より多量の色素を形成することができ、色素形成効率でも優れていることも、明らかにされている。
その外、本願発明は、相対感度(カブリ)においても良好で満足が行く結果を示しているし、ガンマ値が高いため、比較資料より少ない露光量で最大発色濃度に達し、その分色素形成効率も優れる。
甲第7号証の実験報告書の表Ⅱ(別紙表C参照)によっても、本願発明のカプラーは、審決抽出の引用例化合物に比して、退色率、未露光部分の黄変、ガンマ値、相対感度のすべての面で優れていることが示されている。
ところで、被告は、本願発明の作用効果と対比すべきは、引用例記載の発明作用効果全般であり、2-オクタデシルオキシ-5-ニトロ基をもつものと比較しても、本願発明の作用効果が裏付けられたことにはならない旨主張する。
しかしながら、審決が本願発明と比較する対象として結論を導いているのは、もっぱら引用例に開示された化合物のうち4位に2-オクタデシルオキシ-5-ニトロフェニルチオ基を有するものであるから、本件訴訟においては、引用例記載の構成要件から考えうるすべての化合物を考慮する必要はなく、この特定の化合物に係る判断の誤りを主張立証すれば足りるというべきである。
また、被告は、引用例(甲第3号証)の実施例に言及して、本願発明の効果が従来のものと実質的に差異がない程度のものであると主張するが、引用例記載の実施例の比較対象が本願発明の実施例でないことを看過したか、又は、引用例記載の実施例と本願発明の実施例とが異なる条件下で実験された結果であることを看過した主張であり、失当といわなければならない。
さらに、被告は、甲第6、第7号証では、本願発明の構成として、フェニルチオ基の5位が無置換のもの又はハロゲン若しくはアルキル基で置換されたものしか比較の対象とされておらず、フェニルチオ基の5位がアルコシキ基又はアリール基で置換されたものについて比較されていないから、本願発明がすべての構成において審決抽出の引用例化合物よりすぐれた作用効果を奏するということの証明はされていない、と主張する。
しかしながら、アルコキシ基で置換されたものについては、本願明細書(甲第2号証の1の51、52欄)に試料No.11及び12として置換基R3にアルコキシ基を採用したものを実施例として開示しており、この二種の試料について引用例記載の発明のマゼンタカプラー(試料No.4ないし7)との作用効果の顕著な相違が示されており(同53欄表Ⅱ)、甲第5号証の2のカプラーFはR3としてアルコキシ基を採用したものであり、審決抽出の引用例化合物と比較して極めて顕著な作用効果を認めることができる。
そして、アリール基で置換されたものは、甲第8号証により顕著な作用効果が明らかである。すなわち、甲第8号証に記載されたカプラーLは、本願発明のカプラーの置換基R3としてアリール基を採用しており、審決抽出の引用例化合物であるカプラーAと比較をしたところ、カプラーLは、カプラーAに比較して、退色率が顕著に低く、未露光部分の黄変が小さいことにおいて比較にならないほど良好であり、ガンマ値でも、色素形成効率でも優れている。
したがって、被告のこの主張も理由がないというべきである。
第3 請求の原因の認否及び被告の主張
1 請求の原因1ないし3の事実は認める。
2 同4の審決の取消事由は争う。審決の認定、判断は正当であって、審決に原告主張の違法は存在しない。
(1) 同4(1)の主張について
引用例記載の化合物の5位のニトロ基は、引用例8欄11行ないし21行の記載によれば、ハロゲン原子、アルキル基、アルコキシ基、アリール基とともに選択的に使用されるものであり、したがって、この化合物の5位のニトロ基をこれらの基と置き換えて構成する程度のことは、当業者が容易に想到しうるから、本願発明の構成に進歩性があるとはいえない。
(2) 同4(2)の主張について
原告の上記主張は失当である。
すなわち、本願発明の作用効果は引用例記載の発明の作用効果と同質であるから、作用効果によって進歩性が認められるためには、それがきわめて大きいものであることを要するというべきである。
ところが、引用例(甲第3号証)には、引用例記載の発明が、実施例1においてカブリ、ガンマが比較カプラーに比べて優れていることが、実施例2において最大発色濃度が優れたことが、実施例3においてマゼンタ色画像の光り、熱、湿気に対する堅牢度が優れたことが、実施例4においてマゼンタ画像の退色率が優れていることが記載されており、これらのことからかえって、本願発明の効果が従来のものと実質的に差異がない程度のものであることが示されている。そして、甲第5ないし第7号証は、引用例記載の発明の効果を裏付けているにすぎない。
しかも、本願発明の作用効果と対比すべきは、引用例記載の発明の作用効果全般であり、2-オクタデシルオキシ-5-ニトロ基をもつ審決抽出の引用例化合物と比較しても、本願発明の作用効果が裏付けられたことにはならない。
そのうえ、甲第6、第7号証では、審決抽出の引用例化合物と比較された本願発明の構成は、フェニルチオ基の5位が無置換であるか、ハロゲン又はアルキル基で置換されたものであるにすぎず、フェニルチオ基の5位がアルコシキ基又はアリール基で置換されたものについては比較の対象とされていない。したがって、本願発明がすべての構成において審決抽出の引用例化合物よりすぐれた作用効果を奏するということの証明はされていない。
第4 証拠関係
本件記録中の証拠目録の記載を引用する(後記理由中において引用する書証はいずれも成立に争いがない。)。
理由
1 請求の原因1(特許庁における手続の経緯)、同2(本願発明の要旨)及び同3(審決の理由の要点)の各事実は、当事者間に争いがない。
2 そこで、原告主張の審決の取消事由について判断する。
(1) 甲第2号証の1ないし3によれば、本願明細書には、本願発明の技術的課題(目的)、構成及び作用効果について、次のとおり記載されていることが認められる。
〈1〉 本願発明は、カラー写真感光材料に関するもので、特に発色現像工程において色素形成収率が高く、発色現像浴のpHの変動により写真性が影響せず、かつ熱や光に対して堅牢な色像を持つカラー写真感料に関するものである(本願発明の出願公告公報(以下「本願公報」という。)3欄20行ないし24行)。
マゼンタカプラー(マゼンタ色画像形成カプラー)としては種々のピラゾロン誘導体が知られている。しかしながら、写真感光材料が含有しているピラゾロン誘導体のカプラーはその発色効率(カプラーの色素への変換率)が低く、カップリング活性位が無置換のいわゆる4当量カプラーでは通常カプラー1モル当たり約2分の1モル程度しか色素が形成されない。この発色効率を改良する方法として、ピラゾロン型マゼンタカプラーのカップリング活性位に置換基を導入して発色現像工程でこの置換基がスプリットオフするいわゆる二当量マゼンタカプラーが知られている。(中略)マゼンタカプラーのカップリング活性位に(中略)アリールチオ基、ヘテロ環チオ基を有するカプラーが、米国特許3227554号、同3701783号更には日本国昭和53年特許出願公告第34044号公報に(中略)記載されている。本願発明のカラー感光材料に使用されるマゼンタカプラーはピラゾロンのカップリング活性位にアリールチオ基を有する二当量マゼンタカプラー群に属するが、新規なカプラーである。米国特許第3227554号、同第3701783号に記載されているマゼンタカプラーのうち、アリールチオ基をカップリング活性位にもつカプラーは、いずれも、カラー感光材料に使用し、色画像を形成させた場合、日進月歩のカラー感光材料の性能改良の中で、今では光堅牢性が不十分であることが本願発明の発明者の詳細な研究によって明らかになった。また、日本国昭和53年特許出願公告第34044号公報に記載されているアリールチオ基を離脱するマゼンタカプラーについても同様に、カラー感光材料に使用し、色画像を形成させた場合、その色画像の光堅牢性が不十分であることが明らかになった。本願発明のカラー感光材料に使用されるマゼンタカプラーは、この色画像の光堅牢性を飛躍的に改良させるもので、従来から知られていたアリールチオ基を離脱するカプラーからは予想もつかない驚くべきことである(同3欄25行ないし4欄27行)。
したがって、本願発明は、第一に色像が光に対して堅牢なカラー写真感光材料を提供すること、第二に発色現像液のpH変動による写真性への影響が少ないカラー写真感光材料を提供すること、第三に簡単な製造方法により安価な二当量マゼンタカプラーを有するカラー写真感光材料を提供すること、第四に発色効率を向上させ、カプラー使用量減、ハロゲン化銀使用量減のカラー写真感光材料を提供すること、第五に発色現像処理後、ハロゲン化銀に無影響なカラー写真感光材料を提供することを技術的課題(目的)とするものであるが、第二以下の技術的課題は既にこれまで知られている目的と同様である(同4欄30行ないし43行)。
〈2〉 本願発明は、前記技術的課題を解決するために本願発明の要旨記載の構成(平成1年10月9日付手続補正書添付「特許請求の範囲」1頁2行ないし2頁18行)を採用した。
〈3〉 本願発明は、前記構成により、次のような驚くべき作用効果を奏する。
Ⅰ カラー現像主薬(例えばp-フェニレンジアミン系現線主薬)の酸化生成物とのカップリングによって得られた色画像が光や熱に対して著しく堅牢になった。
Ⅱ マゼンタカプラーの発色効率が著しく向上した。このことによって、このマゼンタカプラーの使用量を従来よりも減少させることができ、またハロゲン化銀の使用量も著しく低減でき、このためマゼンタ色画像形成乳剤層の塗布膜厚をより薄くすることができた。また、この結果画像鮮鋭度も著しく改良することができた。
Ⅲ カプラーの使用量の減少により、またハロゲン化銀の使用量の減少により安い製造コストでカラー写真感光材料を作ることができた。
Ⅳ 発色現像処理工程が安定した(写真処理液のpH変化に非常に影響されにくい感光材料が得られた。)。
Ⅴ ホルマリンの存在する場所で現像前放置しておいても現像処理により異常発色しない品質の安定したカラー写真感光材料を得ることができた。
Ⅵ 現像処理後の色画像で、粒状性が優れたカラー写真感光材料を得ることができた。
(同5欄6行ないし18行、6欄1行ないし14行)
(2) 引用例に審決認定の技術内容が記載されていること、本願発明と引用例記載の発明との一致点及び相違点が審決認定のとおりであること、引用例記載の発明の作用効果の内容が審決認定のとおりであり、その作用効果が質的には本願発明の奏する作用効果と同じであることは、当事者間に争いがない。
原告は、まず、引用例記載の発明の出願当時、引用例記載の発明の採用した2-オクタデシルオキシ-5-ニトロフェニルチオ基におけるニトロ基がマゼンタカプラーに有効であると考えられていたが、原告は、その後多大な労苦によりこの考えを排斥し、多くの置換基の中から本願発明のハロゲン原子、アルキル基、アルコシキ基、アリール基を特定したもので、このように特定の構成に限定した意義は顕著で、この構成は当業者であっても容易に想到することはできない、と主張するので、最初にこの点について検討する。
(3) 甲第3号証によれば、引用例は発明の名称を「カラー写真感光材料」とする特許出願公告公報であって、引用例記載の発明の構成、作用効果について、次のとおり記載されていることが認められる。
〈1〉 引用例記載の発明は、カラー写真感光材料に係り特に新規なマゼンタカプラーを含むハロゲン化銀カラー写真感光材料に関するものであり(1欄28行ないし30行)、その特許請求の範囲は、「支持体上に1-アリール-3-アリールアミノ-5ピラゾロン化合物を含有するハロゲン化銀乳剤層を有し、該ピラゾロン化合物の4位が炭素原子数12以上の疎水性残基を有する耐拡散化基をもつアリールチオもしくはヘテロ環チオ基によって置換されており、且つ1位のアリール基と3位のアリールアミノ基の両方ともが疎水性基であることを特徴とするカラー写真感光材料」(1欄19行ないし26行)である。
〈2〉 引用例記載の発明として有用なカプラーは、別紙一般式(Ⅲ)、一般式(Ⅳ)で表わされる。
ここに、R'1は、アリール基及び1個以上の置換基を有するアリール基を表わし、R'1としてはオルト位の少なくとも一つがアルキル基、アルコキシ基、ハロゲン原子などによって置換されているフェニル基がフィルム膜中に残存するカプラーが着色しにくいために有用である。
R'2は、アリール基及び1個以上の置換基を有するアリール基を表わし、R'2としてはオルト位の一つがアルキル基、アルコキシ基、アリールオキシ基、ハロゲン原子などによって置換されているフェニル基が、生成色素の吸光特性の上から有用である(5欄20行ないし6欄23行)。
前記一般式中のR'3は、炭素原子数12以上の疎水性残基を有する耐拡散化基をもつアリール若しくは同上の疎船性残基を有するヘテロ環基を表わし、R'3は疎水残基の他に、ハロゲン原子、シアノ基、ニトロ基、アルキル基、アルコキシ基、アリール基(中略)等によってさらに置換されていてもよい(7欄41行ないし8欄21行)。
前記一般式中のR4は、炭素原子数12以上の疎水性残基をもつ2価のアリール等若しくはヘテロ環基を表わす(8欄22行ないし24行)。
(4) 本願発明と引用例記載の発明との一致点及び相違点が審決認定のとおりであることは前記のとおり当事者間に争いがなく、弁論の全趣旨をもあわせれば、両発明の相違点として、4位にフェニルチオ基を有するピラゾロン化合物のカプラーにおけるそのフェニルチオ基の5位が、引用例記載の発明ではニトロ基とすることができるのに対し、本願発明では水素原子、ハロゲン原子、アルキル基、アルコキシ基又はアリール基である点を掲げることができる。しかしながら、前記(3)〈2〉の認定によれば、引用例には、R3基の説明として、置換されない場合、すなわち水素原子である場合とともに、ハロゲン原子、アルキル基、アルコキシ基、アリール基がニトロ基と同列に並べて置換されうることが記載されているのであるから、当業者にとって上記のニトロ基を水素原子、ハロゲン原子、アルキル基、アルコキシ基又はアリール基に置き換える程度のことは容易であったというほかはなく、前記(2)記載の原告の主張は失当というべきである。
(5) 次いで、原告は、本願発明と引用例記載の発明とは、いずれもマゼンタカプラーの改良を指向したもので作用効果が共通するとはいうものの、作用効果の程度において顕著な相違があるのに、審決はこの相違を看過している、と主張するので、この主張について検討を進める。
〈1〉 この点について、原告はまず、審決が甲第5号証の2の実験成績報告書の記載を排斥したことは不当であると主張する。
なるほど、甲第5号証の2によれば、同証には、引用例記載の発明の例としてカプラーAを、本願発明の化合物の例としてカプラーBないしGを、それぞれ選択して、写真特性及び光退色試験の比較実験を行った結果が記載されており、その実験結果によれば、カプラーAは、他のカプラーに比して、最高発色濃度こそほぼ比肩し得る程度の数値を示したものの、相対感度、ガンマ価はずっと低く、光退色率、末露光部分の黄変程度も大きく、写真特性及び光退色試験の数値において、著しく劣る結果が示されていることが認められる。
ところで、一般的に科学的な比較実験を試みる場合、比較すべき条件以外の点では実験条件を同一にすべきことは、科学常識に属する。
ところが、甲第5号証の2を詳細に検討すると、引用例記載の発明に相当するカプラーAは、2-オクタデシルオキシ-5-ニトローフェニルチオ基を4位に有するピラゾロン化合物であるのに対し、本願発明の化合物に相当するカプラーBは2-ブトキシ-5-オクチルーフェニルチオ基を4位に有するピラゾロン化合物であることが認められ、カプラーAとカプラーBとが、比較対照すべき5位の置換基以外に、2位の置換基において前者ではオクタデシルオキシ基であるのに対し後者ではブトキシ基である点でも相違していることが認められ、カプラーCないしGも同様である(カプラーCないしGの2位の置換基は、それぞれ順次、ドデシルオキシ基、同基、ブトキシ基、オクチルオキシ基、同基である。)ことが明らかにされている。
そうすると、甲第5号証の2記載の実験結果は、比較対照すべき以外の点においても相違する対象物についてされた実験に基づくものというべきであるから、比較対象すべき点の相違に基いて結果の差異が生じたと断定することができず、審決がこの実験結果を排斥したのは相当であり、この点に関する原告の主張は理由がないといわなければならない。
〈2〉 次いで、原告は、当審提出の甲第6、第7号証によれば、本願発明に係るカプラーは、審決抽出の引用例化合物に比して顕著な作用効果を呈することが明らかであると主張する。
そこで、甲第6、第7号証を調べてみると、これら各証には甲第5号証の2の実験成績報告書において採用されたカプラーA、カプラーB、カプラーDのほかに新たにカプラーHないしカプラーKを加えて試みられた各比較実験の結果が記載されていること(別紙表B及び表C参照)、これらの実験に用いられたカプラーH、カプラーI、カプラーJ、カプラーKは、いずれも引用例記載の発明のうち審決抽出の引用例化合物に該当する2-オクタデシルオキシ-5-ニトロフェニルチオーピラゾロン5(カプラーA)の5位のニトロ基のみがそれぞれ、オクチル基、水素原子、ハロゲン、ペンチル基で置換されただけでその余の部分は全く同一のものであって、本願発明の化合物に相当するものであること、カプラーH、カプラーIは、引用例記載の発明に相当するカプラーAに比較して、写真特性のうち最大発色濃度では多少の改良程度に留まるものの、相対感度及びガンマ値では33ないし40パーセント程度に達する改良が認められたほか、光退色試験でも相当の改良が認められ、殊に、キセノンランプ10万ルックスを2日間照射した試験における未露光部の黄変の変化率が、カプラーAでは0.22であったのに対し、カプラーH及びカプラーIではいずれも0.00であり、特に未露光部分の黄変において著しく改善されたことが示されていること(殊に甲第6号証の表-Ⅰ参照)、カプラーJ、カプラーKは、カプラーAに比べて、写真特性のうち最高発色濃度では多少高い価を示す程度であるが、相対感度及びガンマ値では39パーセント及び20パーセント程度に達する改善が見られ、光退色試験でも相当の改善が認められ、殊に上記の未露光部の黄変の変化率が、カプラーAで0.20を示した際にも、カプラーJ、カプラーKではそれぞれ0.01及び0.00であり、特に未露光部の黄変において著しい改善が見られ(殊に甲第7号証の表-Ⅱ参照)、また、実験データー添付のフォトコピーにも、光照射前にはカプラーAと、カプラーJ、カプラーKとの間でほとんど差異が認められなかったのに、上記の光照射実験後には、カプラーAでは肉眼でもはっきり黄変したことを観察することができるのに対し、カプラーJ、カプラーKではほとんど変化がないに等しい状態が示されていることが認められる。
そうしてみると、甲第6、第7号証によれば、本願発明に係るカプラーのうちあるものは審決抽出の引用例化合物と対比してもかなり優れた作用効果を呈するということができなくはない。
しかしながら、発明の進歩性の判断は、当業者を判断主体として、当該発明の出願時を判断基準時として、当該発明の技術的課題(目的)、構成、作用効果の予測性、困難性について検討すべきであり、そのいずれかにおいて予測性がない(すなわち、困難性がある)と認められるときは、当該発明に進歩性があるというべきであるが、当該発明及び対比される公知技術(公知発明)がそれぞれ複数の構成(方法)を包括したものである場合に作用効果の予測性がないといいうるためには、当該発明がいずれの構成(方法)を選択した場合においても、公知技術のいずれの構成(方法)を選択したときよりも作用効果において顕著であり、かつ、そのような作用効果を奏することが当業者にとって通常予測できないものであることを必要とすると解すべきである。殊に、発明の構成において予測性がある場合、公知技術の結合によって奏する作用効果はそれらの公知技術から当業者が予測しうる範囲内のものにすぎないのが通常であって、そのような場合に作用効果の予測性がないというためには、当該発明の奏する作用効果が公知技術の奏する作用効果の総和又は当該発明に対応する公知技術を常に越えた、格別のものであることを要し、当該発明のある構成(方法)においてこれに対応する公知技術の構成(方法)より優れているというだけでは足りない、というほかはない。このように解するときは、当該発明の構成が広範囲にわたる場合、発明者が作用効果の予測性がないことを証明することに困難を覚える事態が生じうるが、元来作用効果の顕著なことを理由に発明に進歩性を認める以上やむをえないというべきであり、発明者は特許請求の範囲を限定することによりそのような事態を回避しうるのであるから、不都合もないと解される。
ところで、本件全証拠を詳細に検討しても、本願発明に係る化合物のうち、フェニルチオ基の5位がアルコキシ基で置換されたものが審決抽出の引用例化合物より顕著な作用効果を有することを認めるべき証拠を見出すことができない。
もっとも、原告は、この点に関して、本願明細書(甲第2号証の1の51、52欄)に試料No.11及び12として置換基R3にアルコキシ基を採用したものを実施例として開示しており、この二種の試料について引用例記載の発明のマゼンタカプラー(試料No.4ないし7)との作用効果の顕著な相違が示されており(同53欄表Ⅱ)、甲第5号証の2のカプラーFはR3としてアルコキシ基を採用したものであり、審決抽出の引用例化合物と比較して極めて顕著な作用効果が示されている、と主張する。
そこで、甲第2号証の1を精査してみると、確かに同証によれば、本願明細書には、本願発明に属する11、12の試料と比較用の4ないし7の試料とを比較実験した測定結果(本願公報53欄表Ⅱ)が記載されていること、上記試料11、12は、いずれも本願発明に係る化合物のうちフェニルチオ基の5位がアルコキシ基で置換されたものである(同51、52欄)ことが認められるが、他方、同証によれば、上記試料11はR2基がブトキシ基(-O-C4H9)であり、上記試料No.12はR2基がオクチルオキシ基(-O-C8H17)であって、いずれもR2基がオクタデシルオキシ基(-O-C18H37)ではない(同51、52欄)こと、また、比較用試料4ないし7は、いずれも、2位がオクタデシルオキシ基(-O-C18H37)でなく、また、5位がニトロ基でないから、いずれも審決抽出の引用例化合物でない(同45欄ないし48欄)ことも認められ、上記試料11、12は、いずれも比較対照すべき置換基R3以外のR2基の部分で審決抽出の引用例化合物と異なっており、そればかりか、上記試料11、12と比較実験された試料4ないし7も審決抽出の引用例化合物に属さないことが明らかにされているから、この測定結果により本願発明に係る化合物のうちフェニルチオ基の5位がアルコキシ基で置換されたものが審決抽出の引用例化合物より顕著な作用効果を有するということができないことは、明白である。
また、前記〈1〉において検討したとおり、甲第5号証の2に記載のカプラーFは、R2基がオクチルオキシ基(-O-C8H17)であってオクタデシルオキシ基(-O-C18H37)ではないことが明らかであり、同カプラーは、審決抽出の引用例化合物に相当する同証記載のカプラーAと、比較対照すべき5位の置換基以外に2位の置換基においても相違しているのであるから、比較対照すべき点の違いに基づいて同証記載の結果の差異が生じたと断定することができない。
そうすると、その余の点について検討するまでもなく、本願発明がいずれの構成を採用した場合においても審決抽出の引用例化合物の構成を選択したときよりも格別な作用効果を奏することの証明はないというほかはないから、前記原告の主張は理由がないというべきであって、結局、審決が、「請求人(原告)は(中略)前記R3のアリール基の残基をニトロ基以外の水素原子、ハロゲン原子、アルキル基等で置換したアリールチオ基を有するピラゾロン系カプラーが前記ニトロ基で置換したピラゾロン系カプラーに比べて特段の効果がある旨主張しているが、(中略)請求人の主張は採用できない。」(審決8頁5行ないし20行)とした判断は、正当であったと評価することができる。
3 よって、審決の違法を理由にその取消を求める原告の本訴請求は理由がないから、棄却し、訴訟費用の負担について、行政事件訴訟法7条、民事訴訟法89条を適用して、主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官 竹田稔 裁判官 成田喜達 裁判官 佐藤修市)
別紙
〈省略〉
別紙
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